父がホテルマンであった為、私は生まれがグァム島で、そこから小学校が香港、中学校がバンコク、高校がイギリスと、生まれてから約20年間を海外で転々と生活しておりました。学生時代には、転勤のたびに友達や環境が変わる為、社会人になってからの転職、転勤、事業部の移動などは何一つ苦になりませんでした。環境適応能力はいままでの経験から成り立っていたんだと思います。
そして、社会人になってからも視点は絶えず海外にありました。厳密に言えば、海外というより大きな視点をもって仕事に取り組んでいたという事でしょう。
いつかは、自分のビジョンを叶える為、自分で会社を経営するというタイミングを見計らってサラリーマンをやっておりました。
そして、様々な方の支えの中、自身の意思決定を元に、一昨年エドワードペンシル社を設立致しました。
いままで関東で仕事をしていた為、よく『なぜ沖縄本社なのか』を聞かれます。 私の母が沖縄出身で、家族が沖縄に住んでいるという理由ももちろん御座いますが、今後沖縄は世界の中心になっていくと本気で考えております。 軍事戦略上も沖縄に基地を設けている点や、沖縄を中心とし扇型に周りを見渡した時、現在急成長している東南アジアや東京を繋ぐ、『ど真ん中』に沖縄は御座います。
船舶や空輸の流通の面、フリーゾーンが沖縄にある面、海がある面、観光都市である面、県内の若者の持つポテンシャルの面、様々な要因を見ても今後沖縄は、東南アジア随一の人が出入りする都市となり、世界初の循環型社会モデルを実現し、風力、太陽光発電などの自然エネルギーが70%占め、電気自動車の普及率は、50%を超え、食品残さも家畜飼料としてリサイクルし、ゴミの出ない環境の島として、世界中から注目を浴び、視察が絶えないエコアイランドとなる可能性を秘めている未来都市で御座います。
現在、エドワードペンシルで取り扱っている事業のほとんどは、インターネット・モバイル関連の商材です。しかし、私は『事業の集中』は考えますが、『事業の固執』はしません。現に、学生と共同で運営する『学生メディアプロジェクト』は弊社の一つの柱で御座いますし、県内の学生の中で一人でも、私と同じような経営思考の同じ志を持った『仲間』が増えていってくれる事は、ビジネス、メンタル、ネットワーク、すべての面でプラスでしかなく、且つ、沖縄が未来都市に近付く最短ルートで御座います。
ただ、事業の選択の中で必ず一つだけ合致するかを見極めている事が御座います。
『パッケージ化し、海外に発信可能であるか否か』
ハードであれ、ソフトであれ、エドワードペンシル社から海外に拡販したい。
アメリカで流行ったものが東京に降りてきて、そこから地方に分散される。
この流れを逆流させたい。現に、昨今のビジネスのフィールドは転換期にあると考えます。
国内市場を見ても、今までは大手企業が『このような商品がエンドユーザーには受け入れられるだろう』というトップダウンを元に形成されていた部分が、逆に、エンドユーザー発信のボトムアップで流行や、お金が動く事も珍しくありません。それだけ、インターネットの普及、様々な形のソーシャルネットワークの完成は、ビジネスのフィールドにジレンマを起こしました。
前途のビジョンを成す為には何が必要か。
それはおのずと『関わりを持たせて頂いたすべての方へ本質的なウォンツを提供する事』だと考えております。ありきたりな言い方になりますが『お客様満足度』です。
ただ、私は『CS(お客様満足度)』は『ES(従業員満足度)』で有り、『ES』⇒『CS』の方程式だと考えます。
自分の会社を誇りに思えず、自分の会社が嫌いで、『自分の会社に貢献する為に』と少しでも思えない人材が、お客様を大事になど絶対に出来ないと思います。
逆に、『エドワードペンシルのビジョンの為に』、会社が好きだから、この会社で働けた事を誇りに思いたいから、など、自分の会社であるという意識がある人材は、必ずお客様へ真の意味でのウォンツを提供すると考えます。
その為にエドワードペンシル社とは、社員が上司を、課長が部長を、部長が役員を、役員は社長を尊敬し、我々が自分の会社に、大きな誇りを持てる環境でなくてはなりません。エドワードペンシルの代表として、私はそう考えております。
まだ、設立間もないベンチャーで御座いますが、
『ものを成すという事は必ず、一人の人間の『熱狂』から始まる』
ビジネスのフィールドで、私の『熱狂』は始まったばかりで御座います。